アニメの評価を評価する
- k2load
- 2016年11月4日
- 読了時間: 3分
メタ的思考は哲学の第一歩である。
というよりも、メタ的思考のことこそ哲学と呼ぶべきなのである。
それは置いておいて、ここではアニメの話をするのだが。
アニメをどうやって評価すべきだろうか?そもそもアニメをどう評価するべきなのか?
アニメが映像作品であり、連作的性質を持つ物語であり、声優による演技の場であるという3つの大きな特徴を考えたとき、自ずと"観点"は定まってくる。「景・筋・人」である。
まず「景(けい)」は、映像としての美しさ、いわゆる作画である。例えば『スペースダンディ』の作画は"良い"だろうし、『MUSASHI -GUN道』の作画は"伝説的酷さ"だろう。評価的な基準はそういうレベルでいい。問題は観点がこれだけではないということなのだから。アニメが映像作品であるということを考えすぎると、ついついこの部分だけを追求したくなってしまう。だが、それなら『スペースダンディ』は名作だっただろうか?なぜ崩壊しまくった『機動戦士ガンダム』は名作となったのか?映像としての美しさや、「アニメは動き」という考えに固執した作品は、物語としてのアニメに劣るものである。
次に「筋(すじ)」。これはおそらく最も重要である。アニメは基本一週間に一度放送される、言わば「アニメ版連続テレビ小説」なのである。その長大な映像をまとめ上げるのは、何よりも"物語そのもの"である。テレビ放映されたこともあるが基本OVAの『銀河英雄伝説』はその点最高の教科書であり名作である。100話を超える映像が、見事な筋によって完成されている。オリジナル作品の好例としては、『コードギアス(1+2期)』『PSYCHO-PASS』、『Darker than Black』など。(近年の名作アニメは2クールが多い。たぶん話をまとめやすいのだろう。)悪い例は挙げていったら切りがないと思うが…あえて言うなら「『機動戦士ガンダムSEED』で印象に残った場面を5つ挙げよ」という質問に5分以内に答えられる人はどれくらい居るだろうか?この作品は本当に50話有ったのだろうか…と考えたくなる薄さである。
最後に「人(ひと)」。これはキャラクターと声優という意味である。が、実は声優に関してはあまり気にしなくていい。なぜなら、日本の声優はほぼすべての方々が全く文句の付け所もないプロフェッショナルであり、一定以上のクオリティが保証されているようなものだからである。同人アニメなどを見れば、プロと素人の差がハッキリとわかるだろう。ちなみに『SHIROBAKO』を観ると、プロによる「素人のアフレコ」の演技を聞くことができる。やはりプロは凄い。キャラクターについては"必要十分"を考えたいところである。物語として必要であり、その役目を十分に果たす魅力的なキャラクター、ということが重要である。つまり、"キャラを出したいから話を合わせた"ようないわゆる「可愛いだけ」のアニメなどは評価以前なのだ。
そしてこれら3観点から考えて、総合的に"良い"といえる作品を"良作"として評価して良いと思う。よく「結局は人それぞれの好き嫌い」と言われるが、それがあるのは当然である。しかし、"良作"と"駄作"という対立と、"好きな作品"と"嫌いな作品"という対立は別の軸だと思う。私は『四月は君の嘘』が好きではない。むしろ嫌いである。だが、あれは"良作"だと評価している。また『TARITARI』は私の好きな作品であるが、"良作"とまではいかないと評価している。
物の良し悪しを、その物の地平で推し量ること。これが目利きということであり、物の価値が分かる者ということである。
要するに、「セル画!セル画!」とか「大作!感動!」とか「○○可愛い!○○出せ!ブヒィ!」とか言ってるだけではアニメの良し悪しなどわからないのである。アニメは沢山の人達の努力の結晶である。余すところなく視聴させていただき、評価しなければならない。

そういう意味では、『SHIROBAKO』が非常にいい手本になるだろう。
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