top of page
  • Black Twitter Icon

知覚と認知と思考

  • k2load
  • 2016年10月13日
  • 読了時間: 2分

子供が銃で撃たれるのを見たら、おそらく大半の人々はマイナスの感情を持つだろう。それに対して肯定的な感情や、理論的擁護を行う者はまずいない。いたとしても、これだけの情報からは何ともしがたい。

では、その子供は100人ほどの人間を明確な悪意で殺害した殺人鬼だったとしよう。今度は先ほどと逆になるだろう。

眼前にあるのは同じ状況である。それを我々は知覚する。しかし知覚には、その認知において道徳的バイアスが既にかかっている。

「さあ、今からジェイソンがヒロインの首を斧で刎ねるショッキングなシーンを流すよ!」と言われたとき。

「さあ、今からジェイソンがヒロインをいじめていた女の首を斧で刎ねる痛快なシーンを流すよ!」と言われたとき。同じものを知覚しても、我々は別の認知を行い、そしてそれをもとに思考するはずだ。

ある万引き犯が捕まった。顔も声も加工済み。「金が無い。何もかもどうでもいい。だからやった」と供述している。店側の視点からそれを見たとき、我々は「なんて身勝手なやつだ」と思うことだろう。もしその万引き犯が15年以上ホームレス生活を続け、家族にも友人にも裏切られた悲しい半生だったということが分かっても「まあ…法律は法律だから」と判断してしまうかもしれない。

では、その万引き犯の側から見たら?まず悲しい半生を辿り、精魂尽き果てついに万引き。そして先ほどの供述。どれくらいの人が最初から「まあ…法律は法律だから」と考えるだろうか。

ある男が銀行強盗をした。金を奪ったが、最後には逮捕された。

その後の報道。その男はある犯罪グループに娘を誘拐されていた。そしてその犯罪グループから銀行強盗をするよう脅されていたのだ。彼は密かに警察に通報しており、自分が捕まったときと時を同じくして、犯罪グループも検挙されていた。

銀行に居合わせた人には、この男は悪魔に見えただろう。その後の報道を見て、天使に見えたかもしれない。

これらはあらゆる状況に対して、そして自身のあらゆる行動に対して適用されるだろう。

これが"文脈"、"コンテクスト"ということなのだと私は理解している。


Comments


​書いてる人:シュヴァルツ

​かつて神聖ヴィンラディック帝国で官房長官をやっていたという経歴を持つ既知の外。ヘヴィーメタルをこよなく愛する、ヴィンラディックメタリストでもある。

​なんか連絡とりたい方はTwitterのDMとかでどうそ。

  • Black Twitter Icon

​人よ、既知の外たれ。ヴィンラディックたれ。

このWebサイトはElf V. Schwarzのオンラインなメモ書き的やつです。

自分の中で整理をつけるために書いています。それだけです。

  • Grey Twitter Icon

© 2016 schwarz inc.

bottom of page