理解の土台
- k2load
- 2016年9月23日
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何かを正確に捉えられる人、何かを的確に理解できる人は少ない。ほんの一握りだ、と思わされる。
例えば、文学部の学生が集って明治後期の文学ゼミをやるとして、ある本を手にとって「この本について議論しよう」というときに、真っ先に「その本は何冊売れたんだ」とか「その本は何グラムあるんだ」とか「その本の材質は何か」とかを議論する人間がいたら、大半の人々がそいつはどうかしていると思うだろう。
別に、その議論の存在が間違いだと言っているわけではない。そんな議論は文脈的におかしいと言っているのだ。
私はもう、そういう文脈が理解できない人間にはうんざりだ。
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