人類はギュゲスの指輪を得た
- k2load
- 2016年9月22日
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相手にどんな罵声を浴びせても、自分が攻撃されることはなく、絶対的な匿名性が担保されるとしたら、普段は温厚な人間でも人が変わったようになる。
もし透明になれる指輪、「ギュゲスの指輪」を得たとしたら、人は必ずそれを使って罪を犯す。それが露見することはないのだから、"まとも"でいる必要がなくなるから。グラウコンはこの思考実験を持ち出し、ソクラテスに詰め寄った。どうして正しく生きることが幸福になることだといえる?人は不正を行うと不利だから正しく見せかけているに過ぎない。不正が露見しないなら、それこそが最高の幸福ではないのか。人は正しくあるのではなく、正しく見せかけることに執念を燃やしてるにすぎないのではないか、と。
これに対するソクラテスの苦しい解答は別として、現代社会では「ギュゲスの指輪」が完成している。それどころか、誰でも簡単にそれを使うことができる。
インターネットである。

気に入らない政治家や事件の容疑者、有名人、あるいは身近な人物など。それらに対して簡単に暴言を吐けるのは、ネットがあるおかげだ。暴言に限らず、極端な言論も簡単に主張できるようになった。言論の自由を得た自由主義社会の人間は、今や言論の匿名性さえも手に入れたのだ。
おそらく、パソコンが人間レベルの人工知能を持ち、思考したり会話したりすることが可能になったとしても、それが普及することは無い。そんなことをすれば、パソコンはすぐさま「監視者」となり、「ギュゲスの指輪」は消滅する。
ネットは人間の本性を引き出す。普段は巧妙に隠しているだけで、実はそれが人間のありのままなのだ。この道具が人間という種にとって有用なのか、有害なのか、それを判断するにはまだ早い。
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