最近のニュースについてボヤく2:「お金で解決できないこと」
- k2load
- 2016年9月21日
- 読了時間: 3分
ニュースに関してボヤくシリーズ。第二回はこちら。
回転寿司での「シャリ残し」はマナー違反? 糖質制限ダイエット女性のふるまいが物議 http://news.nicovideo.jp/watch/nw2403407

●いろいろな見方があるが
このニュースについてはいろいろな見方ができると思うが、ニコニコニュースはTwitterでの反応が記事の下に表示されるので、そこを参考にしながらいくつかボヤいてみよう。
●批判的な見方
・「たまたま入ったところが寿司しか置いてない場所なんてものは無いから はじめから刺身喰えよ。」
・「自由を振りかざして料理人が頑張って作ったものを粗末にする人は嫌い。」
・「シャリ食いたくないなら、最初から回転寿司に行かなきゃいいのに。食材や調理する人に対する敬いとか感謝の気持ちはないのか?」
●擁護する見方
・「米を無駄にしてるとか笑った。コンビニもスーパーも売れ残ったのは全部捨ててるんだよ」
・「米作ってる人は別に食っても食わなくても消費してくれればいいと思ってるけどな。いい加減「もったいない」という亡国思想捨てろよ」
・「別にどう食べようがその人の自由」
●所感
擁護する意見を見つけるのに大変苦労した。とりあえずのところ、両方の見方は、それなりの妥当性がある。そもそも刺し身を食え、という批判が非常に多かった。これはたしかにそう思うところであり、おそらく両派の極論を取る人ほどそう思うのではないかと思う。
だがツイートの量から言って、これについては批判が多数派であると断定できる。
●何が対立しているのか
ハッキリと両派の主張を整理すると、次のようになるだろう。
批判的見方
・食べ物を粗末にしてはいけない、という道徳的価値観に反する
・「自由」を履き違えている
擁護する見方
・本人が購入するものであれば、どうしようと自由である
・さらに言えば、生産者と消費者の合意があるのだから、なお良い
・結局残飯は出るのだからこんな議論は無意味である
●なぜ対立する考えが生じたか
これを擁護する人間は、リバタリアン(自由至上主義者)である。
そしてこれを批判する者は、一般的な日本人である。言い換えれば日本的保守主義者である。
この違いは、寿司のネタだけ食うという行為以外にも、あらゆる質問でテストすることができる。
例えば食事関係でいくと
・芸人のパイ投げ行為を肯定するか、否定するか
・カップラーメンを食べながら住宅街を歩く行為を許容するか、否か
・こんにゃくを用いた自慰行為を肯定するか、否定するか
など
●それぞれの根拠
リバタリアンはこれらの行為について、否定するという考え自体が浮かばない。なぜなら道徳的判断は危害と公正さが関わる場合のみ生じるのであって、一皿108円で購入した寿司を口に含んで店を出てそのままゴミ箱に吐き出そうと、全くどうでもいい。むしろ"正当"な行為であると判断する(もちろん"正常"だとは思わないだろうが)。
だが、日本には伝統的に「食べ物を粗末にしない」「作ってくれた人、命に感謝していただく」という価値観が存在する。この"伝統を重んじる"ということも、一般的人間にとっては道徳的判断の価値基準になっているのである。
リバタリアンは「頭の固い保守主義者はいつもうるさい」と思い、その"頭の固い保守主義者"は「リバタリアンはいつも我々の大切なものを汚す」と思っている。
●で、結局?
不毛である。
ただひとつ言えることは、これはどちらが悪いとか良いとか、そういう問題ではない。むしろ、どう考える人がいて、そして自分の考えと違う人がいるなら、どうすることがベターなのだろうか、と当事者が考えることである。
しかし私も思う。なぜ寿司屋に来たのか。そんなに生魚が食いたきゃ刺し身を食え、と。
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